片付けは、心の澱を流す

部屋の片付けを始めた。

これがなかなかよい。物が整理されて、空間がすっきりしていくのが、実に心地よい。

部屋が片付くと、心も片付く

不思議なもので、部屋が綺麗になっていくと、自分の心の中まで綺麗になっていくように感じる。

散らかった部屋というのは、見ているだけで頭のどこかが落ち着かない。

視界に入る雑多な物のひとつひとつが、無意識に「あれをやらなきゃ」「これを片付けなきゃ」と小さな負荷をかけ続けているのかもしれない。

それが片付くと、頭の中の雑音も一緒に減っていく。

そういえば、机の上に物を置くのをやめたい、掃除の習慣を入れたい、とずっと思っていた。

ようやく重い腰を上げた、というところだ。

もっと早くやればよかった

正直に言えば、もっと早くやっていればよかった。

ここしばらく、自分の中でいろいろなものが澱んでいたのかもしれない。

物理的に散らかっていた部屋は、そのまま自分の内面の状態を映していたのだと思う。

片付けを後回しにしていたのは、たぶん片付けるだけの心の余裕がなかったからで、心の余裕がないから部屋が散らかる、という悪循環だったのだろう。

どこかでその輪を断ち切らないといけなかった。

手を動かして物を片付けるという、いちばん単純な行為が、その突破口になったのは面白い。

禅の修行に掃除があるわけ

禅の修行に掃除があるのも、こうしてみると納得がいく。

昔は、なぜ修行で掃除なんてするのだろう、と思っていた。

座禅を組んで精神を整えるのは分かるけれど、床を磨いたり庭を掃いたりすることが、なぜ修行になるのか。

今なら少し分かる気がする。

手を動かして目の前を整えることと、心を整えることは、どこかでつながっている。

掃除は単なる雑用ではなく、心を整えるための実践なのだ。

大げさかもしれないが、そんなことを箒ならぬ掃除機を手に考えていた。

しばらくは、この片付けの習慣を続けてみようと思う。