駆け出しの頃、歌うようにプログラミングを書けるようになりたい、という夢があった。
頭の中の設計が、まるでメロディを口ずさむように、よどみなくコードになっていく。そんな状態に憧れていた。
その夢は、自分ではなくAIが実現してしまった。
速度でも正確さでも、もう敵わない
コードを書く速度や正確さで、自分はもうAIに勝てない。
これは悔しいとか、そういう感情を通り越して、ただの事実として受け入れている。
先日、Stripeを使った決済システムをLaravelで組む機会があった。
自分はLaravelをほとんど知らない。普段使っているフレームワークではないからだ。
それでも、AIに相談しながら作業したら、3時間ほどで動くものができた。
自分ひとりでやっていたら、最低でも一週間はかかっていたと思う。知らない作法を調べ、設定でハマり、ドキュメントを行き来して。
それが3時間だ。これは衝撃だった。
かつて夢見た「歌うように書く」という状態に最も近いのは、今や自分の指ではなくAIの出力なのだ。
「速く書ける」ことの価値は移った
考えてみれば、自分が憧れていたのは「速く正確に書ける職人」の姿だった。
その価値が、人間の手から離れていく。
これは大工がよい道具を手にした、という話とは少し違う気がしている。
道具なら、使い手の腕が成果を左右する。けれど、コードを書くという行為そのものが代替されていく感覚は、もっと根本的なものだ。
自分の存在意義はどこにあるのか、と一瞬考えてしまう。
それでも、嘆く話ではない
ただ、これを悲観しているわけではない。
速く書けることは、もはや希少な価値ではなくなった。だとすれば、自分が時間を割くべきところも変わる。
何を作るか。なぜ作るか。誰のために作るか。
そういう、コードを書く前と後にある部分が、相対的に重みを増してきた気がする。
歌うように書く技術は手放すことになったけれど、何を歌うかを決めるのは、まだ自分の仕事として残っている。
そう思えば、悪い時代でもない。